現代佛師による図像抄 Wii LOVE BUDDHIST IMAGE

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『役行者略縁起事』

ク ラ ス : 修験道開祖

 日本の飛鳥時代から奈良時代(舒明天皇6年 634年~大宝元年6月7日 701年7月16日)の巫女子(ふじょし)※1。修験道の創始者とされる。

第一段 霊夢懐妊 誕生吉祥

 大和国葛城上郡茅原(現奈良県御所市茅原)に生まれる※2
 父は出雲国から入り婿として役氏入りした大角(おおづぬ、アークトゥルス Arcturus)、母は白専女(しらとうめ)※3。大角、白専女はいずれも通称であり、父は名を加茂間賀介麻(まかげまろ)といい、高鴨神の審神者※4 である高加茂朝臣(たかかものあそん)であった。また、母は名を渡都岐比売(とときひめ)といい、同じく神道家の平群物部真鳥(へぐりもののべのまとり)の娘である。白専女の「専女」とは「白狐」の意であり、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、すなわち稲荷神を指し、宇迦之御魂神の巫女であったとされる。

第二段 神童誉れ 仏法受法

 幼少より大和国磯城地方の超自然に馴染み、神の血脈と相まって、9歳のときには仏法に興味を示し自らを「役優婆塞」※5 と称する。JC時には孔雀明王と交流するようになり、その後、真言密教の『孔雀明王法』を会得して、独自の修法を組み込んだ『孔雀明王神祇秘法』編み出す。

第三段 葛城修行 大蛇退治

 この間、小角13歳のとき、はかない初恋をする。茅原から葛城山へ日参する小角は、途中の街道筋にある野口神社の祭神である彦八井命(ひこやいのみこと)に見初められ、自身も淡い恋心を抱くが、修行のために恋をあきらめようとする。彦八井命は小角を手に入れたいがための一念で大蛇に変身し、小角を自らの妻としようとするものの、己の強大な力を制御できなかった小角に倒されてしまう。その後、野口神社では供養のために毎年5月5日、小角が彦八井命のために拵えたといわれるワカメの味噌汁を奉げて、厄除けを祈願する汁掛祭が行われるようになった。

第四段 地蔵示現 両鬼折伏

 小角はいよいよJKを卒業すると、家を出て長期の山嶽修行に入った。ある時、生駒山の麓にある平群の里を流れる清流を追って鳴川山を登ると、山中の滝で大蛇に襲われる。小角は恋した相手を倒さなければならなかったトラウマに打ち勝ち再び大蛇を倒したが、これは小角の心を強くせんがため、また小角が己の力を制御できるよう計らうため、地蔵菩薩が化身した姿であった。今現在、千光寺の行者堂には、このとき小角が倒した大蛇の骨が安置され、千光寺から鳴川沿いに下った清滝という場所には地蔵菩薩の石仏が立ち並んでいる。

 また、前鬼、後鬼※6 を護法童子(式神)とするのもこのころで、前鬼、後鬼は元々、里を荒らす双子の荒神であった。生駒山で修行をする小角の邪魔をしようとするが、逆に捕らえられてしまう。二鬼は抵抗するも小角の術により自由を奪われたあげく雑用にこき使われる。だが、それは小角が誰かのために役に立つことの喜びを二鬼に教えようとしたのであり、二鬼も彼女の普段の優しさに触れることで、いつしか小角の護法童子となることを誓うようになる。

第五段 諸国開山 権現感得

 その後、巫術、道術、密教修法などから自らの験術(げんじゅつ)を編み出し、「修験道」を確立した彼女は、前鬼と後鬼とともに、日本各地の諸霊山で修行をする。まず向かったのが金峯山であり、ここで千日回峰行※7 の末、金峯山の峰霊を召喚することに成功し、金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)と名づける。この間、大和(奈良)の茅原寺、金剛寺、吉野寺、地福寺、山城(京都)の海住山寺、御室戸寺等を開基したとされる。
 また、興福寺の僧兵と戦ったときには、東金堂に「轟雷」術で雷を落としてしまい、本尊であった薬師如来像が転げ落ちて首がもげるという失態を犯してしまったこともある。このときに、もげた頭は昭和12年の東金堂修理の際、須弥壇の下より発見され、今は国宝の「仏頭」として興福寺国宝館で見ることができる。
 さらに小角が紀州の友ヶ島を訪れたとき、またもや大蛇に襲われるが、さすがに三度目の正直であった小角は「いい加減にしてよ!」と恋のトラウマを乗り越え、深蛇大将を名乗る友ヶ島の蛇神を倒したのであった。

第六段 伊豆配流 神界昇天

 699年、小角は弟子であった韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の姦計がため、文武天皇によって伊豆大島へ配流の刑を受けてしまう。当初は追及をかわしていた小角であったが、母・白専女を人質に取られ、やむなく捕縛された。大島に流された小角は修行を続け、ついには神仙術を身につける。配流地ではたびたび広足が放った刺客との死闘を繰り広げる。やがて広足は朝廷を陰で操るようになり、これに危機感を抱いた文武天皇は小角を配流の罪に処するという己が犯した過ちに気づき、小角に大赦を与え、都に呼び戻すことに成功する。小角は最大最強の敵、匈蛇王に取り憑かれていた広足を、蛇王を倒すことで正気に戻したのであった。
 小角はこの戦いののち、母が待つ茅原の里へと帰り、平安祈願の石塔を彫る隠棲生活を送っていた。だが、何よりも大切に想っていた母が身罷ったことで天涯孤独となってしまう。このとき小角は、神仙術によって得た不老不死というものの本当の悲しみ、すなわち永遠の孤独を知ることとなる。さらなる修行を積むことを決意した小角は、神仙界へと向かったという。

 生涯を父から授かった「小角」の名で通した役行者は、1977年(寛政11年)、第119代の光格天皇より「神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)」の諡号を賜った。

 ※1 呪術者のこと。
 ※2 生誕の地とされる場所には吉祥草寺が建立されている。小角誕生時、葛城山に瑞兆とされる吉祥草(ユリ科の植物、蘭に似ている)が咲き乱れたという。小角自身も、この吉祥草を生涯好み、自らを戯れに「香精童子」と名乗ることもあったという。
 ※3 役氏は三輪氏族に属する地祇系氏族で、加茂氏(賀茂氏)の系譜を持つ。役民(律令制下における租税の一種として、無償労働の義務にかり出された者たち)を管掌した一族であったため、「役」の字をもって氏としたとされる。この氏族は大和国・河内国に多く分布していた。
 ※4 審神者(さにわ):古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のこと。
 ※5 得度を受けず僧籍に入っていない在家の仏道修行者をいう。
 ※6 青い姿をしているのが前鬼であり、名を儀学(ぐり)という。対して、赤い姿をしている後鬼は儀賢(ぐら)という。体色が異なる以外は外見上ほとんど見分けがつかない。前鬼と後鬼の好きなことは「おづぬのためにおりょうりすること」であり、自らも、小角の縛めで最初に作らされた大きな「かすてら」が大好き。口癖も「おで(俺)、おづぬのためのおおきなたまごみつけてくる」「おでも、おづぬのためにおおきなかすてらつくる」(実際はもっと訛っている)。
 ※7 大峯山の48kmの山道を1日のうち16時間かけて1,000日のあいだ歩き続け、それが終わると9日間、飲まず、食わず、寝ず、休まず(横にならない)ということで完成させる行法。自分で失敗を感じたら、その場で死を選ばなければならないというほどの条件を課せられた完遂するに過酷な修行であり、1,300年間で1人しか成功していないとされていた。