BuDDHA STUDIO

in the Buddhist Pantheon

倉瀬 あまね師
[Kurase Amane]

RELEASED BuDDHIST IMAGE

孔雀明王
Mahāmāyūrī

韋駄天
Skanda

孔雀明王孔雀明王

【梵名】
 マハーマーユーリー [Mahāmāyūrī महामायूरी]
【三昧耶形】
 倶縁果、吉祥果、開敷蓮華、孔雀尾扇(羯磨金剛)
 珍しいものでは弓箭、(半月牙)戟、金剛杵
【種字】
 「म(ma)マ」「यु(yu)ユ」
【真言】
 おん まゆらぎ らんでい そわか
 のうまく ていたらら そわか

孔雀明王 -明王唯一の菩薩形- 

インド神話におけるパーンチャ・ラクシャー(五大明妃)の一柱「マハーマーユーリー」が仏格化された存在。音写では「摩訶摩瑜利(まかまゆり)」と呼ばれるが、「偉大なる孔雀」の意を漢訳した孔雀明王として知られることが多い。元ネタが女神であるため(真正の女尊格)、明王(ヴィヤー・ラージャ)の女性形である「明妃(ヴィヤー・ラージニー)」と訳す経典も見られるが、成仏できるのは男子のみとした当時の公式設定から、女尊ではなく男尊として表現された。元が女神であったということの名残として、忿怒相が基本である明王の中にあって唯一の慈悲相、すなわち慈悲をたたえた菩薩に近い様相で表される。この菩薩形から「孔雀王母菩薩(くじゃくおうもぼさつ)」と称されることもある。胎蔵曼荼羅においては蘇悉地院に列し、「仏母金剛(ぶつもこんごう)」の密号を持つ。
孔雀が毒蛇(コブラ)や悪虫を食べることから、諸毒災厄を取り除き安楽満足を与えてくれるとのご利益があるとされ、信奉の対象となった。『孔雀経』によれば、毒蛇にかまれて死んだ僧が輪廻転生を繰り返して孔雀明王となり、自らが毒によって死んだことから蛇毒や病気などの災厄から人々を救うと誓ったとされている。密教では、人間の煩悩の象徴である三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)を滅し、仏道に成就せしめることを至上とすることから、除魔修法の際に真言を唱える場合もある。また、孔雀には雨を察知する能力があるとされ、祈雨法(雨乞い)にも「孔雀明王法」が用いられた。
日本でも最澄や空海が密教を伝えた以前から「救邪苦(くじゃく)」として息災信仰があったとされ、古くから伝えられた尊格のひとつである。修験道の祖・役小角も17歳のとき奈良元興寺にて「孔雀明王法」を修得し、得意とした。
像容は一面四臂多いが、三面六臂や胎蔵曼荼羅での一面二臂も見られる。菩薩形のため宝冠を戴き、羽を広げた孔雀上の白蓮華に結跏趺坐する。
 
所依経典『仏母大孔雀明王経』

《本像尊容》
本像では、孔雀の羽根が截金で描かれた裙(くん オーバースカート)が騎乗する白孔雀の羽とともに広げられ、光背を成している。尊容は珍しい二臂であり、羯磨金剛杖(羯磨金剛杵が先端についた錫杖、あるいはメイス)を脇に抱え垂下する。明王中唯一の菩薩形であることに陰で苦悩するみんなのアイドル的プリンセス。

孔雀明王

孔雀明王
-明王唯一の菩薩形-

 尊像在所
* 仏画-仁和寺(京都府):北宋時代時代作、国宝
* 仏画-醍醐寺(京都府):重要文化財
* 仏画-智積院(京都府):重要文化財
* 坐像-正暦寺(奈良県):鎌倉時代作
* 仏画-法隆寺(奈良県):重要文化財

仏像図彙所収
韋駄天韋駄天

【梵名】
 スカンダ [Skanda स्कन्दा‎] [al-xandar الإسكندر‎]
【三昧耶形】
 宝剣、宝棒
【種字】
 「स्कska)スカ
【真言】
 おん いだていた もこていた そわか

韋駄天 -神速の守護神-

ヒンドゥー教におけるスカンダ(Skanda=跳ぶもの)が仏教を護法する天部神として取り入れられた尊格。大自在天を父に持ち、烏摩妃を母に、象鼻天を弟とする。
「韋駄天」の字は本来の音写である「塞建陀(そくけんだ)」「私建陀(しけんだ)」「建陀(けんだ)」の「建」が伝承過程で「違」と誤写され、さらには道教の韋将軍信仰と習合したために発生したものと考えられている。それゆえ韋陀将軍、韋天将軍とも称される。
四天王の南方護法王増長天麾下の八将軍主領であり、また帝釈天軍や四天王軍において統連合部隊を組むときに、護世二十天や四天王麾下三十二将軍筆頭として軍〜師団の指揮を執る。
日本の禅宗寺院では仏法、また伽藍(寺院)や僧坊を守る護法神として多く庫裏(くり)や厨房に祀られている。これは中国の禅寺において山門や方丈(本堂)前の韋駄天像が合掌に宝剣や宝棒を持っていたなら宿坊の用意があることを示し、それらを地に突いた像なら用意がないことを示していたことに加え、韋駄天が釈迦のために方々を駆け巡って食物を集めたとの伝説(御馳走の由来)から、日々の守護を祈念するため生活(僧の食と住)に関連がある庫裏に祀られるようになった。
日本では、釈迦が涅槃に入ったときに招かれて遺法護持にあたっていたところ、捷疾羅刹(しょうしつらせつ=悪鬼)が仏舎利(仏牙)を盗み去り、韋駄天が神速でこれを追って取り戻したという伝説が、鎌倉時代以降、韋駄天への信仰とともに民間へ広まったとされる。神速必滅で魔を払い、特に子供の病鬼を退魔すると信じられた。中央アジアではイスカンダル信仰(アレクサンダー大王崇拝)と結びついたものも見られた。
像容は韋将軍の影響を受けていると考えられ、唐風の甲冑をまとい、合掌した両腕に宝剣や宝棒を捧げ置いた武将形が多い。また、上述のように宝剣や宝棒を地に立てた像も存在する。
 
所依経典『金光明経鬼神品第十三』

《本像尊容》
本像では、合掌印に剣を掲上するでも宝棒を地に衝立させるでもない、二刀を両手に把持垂下した尊容となっている。また、烏枢沙摩明王や蔵王権現に見られる右足を揚上した姿で表されている。右手の小刀は魔を摧破する降魔の剣を示し、左手の小刀は一切の情欲や煩悩を断摧する利剣を示す。舎利を取り戻すためには手段を選ばず羅刹も八つ裂き、盲目的な釈迦LOVEを貫く童神。

韋駄天

韋駄天
-神速の守護神-

尊像在所
* 立像-萬福寺(京都府):衝棒像(宝棒を地に立てた尊容)
* 立像-泉涌寺舎利殿(京都府):合掌像、重要文化財
* 多くの禅宗庫裡に安置されています

仏像図彙所収