BuDDHA STUDIO

in the Buddhist Pantheon

きらばがに(優木きら)師
[Kirabagani Yuuki Kira]

 pixiv :  きらばがに
 site :  uklite

イラストレーター。ここでは気まぐれに絵を描いてます。◆ご依頼等ありましたらメールアドレスまでお願いいたします(Twitterより)弊舎注:きらばがに様のメールアドレスはpixivページ内にございます。


RELEASED BuDDHIST IMAGE

虚空蔵菩薩
Ākāśagarbha

毘沙門天
Vaiśravaṇa

虚空蔵菩薩

【梵名】
 アーカーシャガルバ [Ākāśa-garbha आकाशगर्भ]
【三昧耶形】
 宝剣、如意宝珠(蓮華上宝珠や三弁宝珠など)
【種字】
 「(त्राः(trāḥ)タラーク」迷いから解かれ智慧を得る
【真言】
 おん ばざら あらたんのう おん たらく そわか」
 のうぼう あきしゃきゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか

虚空蔵菩薩
-無限の智慧と慈悲- 

菩薩の一尊であり、本来は地蔵菩薩と対を成す、地(地上・地球)に対して空(虚空・宇宙)を司る尊格。サンスクリット名を「アーカーシャガルバ」という。「アーカーシャガルバ」とは「虚空の母胎」を意味し、仏教における虚空とは広大無辺の宇宙であることから、「虚空の母胎」とは宇宙の事象に比する無尽蔵の智慧と無限の慈悲を有し、それで以て人々を救うということを意味している。ネコ型ロボットが持つ四次元ポケットのように、人々に及ぼす力が無限であることを示す尊格である。「アーカーシャガルバ」はまた別の表現で「献身的な小牛は御仏の智慧を守る」という意味もあるようである。
虚空蔵菩薩の修法「求聞持法(ぐもんじほう)」は、真言を100日ないしは50日の間に100万回唱えるという難行を乗り越えたとき、「自然智(じねんち)」と呼ばれる、あらゆる見聞きしたことを記憶し、さらにはその内容を自然と理解できる、絶対記憶・自然理解の力を得られるとされる。「求聞持法」は奈良時代に善無畏(ぜんむい)に師事した大安寺の道慈(どうじ)によって唐よりもたらされ、善議(ぜんぎ)・勤操(ごんぞう)に伝授、勤操に師事した空海からまたその弟子の道昌(どうしょう)へと伝わり、空海が室戸岬の御厨人窟(みくろど)に籠もって修したという伝説が有名であるが、12歳の日蓮が仏道を志すにあたって21日間の祈願を行ったなどもあり、各宗・学系の教理、思想、信条に捉われない、三論、法相、律、禅、華厳、天台に渡って広く虚空蔵菩薩は修法本尊としての信仰を受けたようである。同じ智慧の仏である文殊菩薩の「智慧」との違いは、文殊菩薩が知識や経験から閃く直観力や思考力であるのに対して、虚空蔵菩薩は知識そのもの、またその知識を瞬時に引き出す記憶力といえる。虚空蔵菩薩が仏道を志す者に信仰されたのも、膨大な経典を記憶し、それを唱えなければならないことによるものといえる。地蔵菩薩が民衆の信仰を受け、虚空蔵菩薩が出家者の信奉を得、それぞれに独立して祀られるようになったことは興味深い。
尊容としては、文殊菩薩と同じく右手に智慧の利剣を持つか、持たない場合は手のひらをこちらに向けた与願印、もしくは施無畏印を結ぶ。左手には(三弁)宝珠を乗せるか、もしくは蓮華上宝珠(宝珠の載った開敷紅蓮華)を持つ。胎蔵曼荼羅においては虚空蔵院の中央に配される。五仏坐像を擁した五智宝冠(大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の五智如来の坐像をレリーフとした宝冠)を戴き、蓮華上宝珠を持つ姿で表される。
   
所依経典『虚空蔵菩薩経』

《本像尊容》

智剣を持つ以前の虚空蔵菩薩像

本像は、今回の調査と研究でさらに詳細が判明したものである。このたび、別に保管されていた持物の智剣が発見されたため、剣を把持させて当時の「虚空蔵菩薩立像」を復元した。調査により、本像とよく似た御姿が刻まれている木簡が発見されたのであるが、木簡には同時に「虚空蔵菩薩」「きらばがに(優木きら)」等の他、銘文が刻まれており、これまでは醍醐寺の木像虚空蔵菩薩立像と同じく無剣の与願印像であると思われていたものの、元来の御姿が明らかになったものである。本像は剣先を下にして柄を把持した珍しい尊容となっているが、たおやかな虚空蔵尊像に力強い法利益の威徳と同時に流麗な雰囲気を持たせているといえる。なお、木簡の銘文の内容は以下となっている(句読点は弊舎で入れたものである)。
「虚空蔵菩薩は大日如来なる智慧の究極的具現体なり。金剛界四智すなわち大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智と胎蔵四菩提すなわち発心、修行、菩提、涅槃を内応す。肌黄桃にして髪柳楊紫檀、容貌微笑顔、紅眼を持つ。身より黄熟香のただよひたり。右臂与願手にて智剣を、左臂にて金剛蓮華上如意宝珠を持てり。化仏を置きたる宝冠を戴き、真珠の条帛を纏い、黄金の瓔珞にて荘厳す。満月環の光背を背す。法橋きらばがに、または優木きらなる者によりて描かれし菩薩画の摺佛なり。」

発見された木簡

虚空蔵菩薩像部の拡大

虚空蔵菩薩

虚空蔵菩薩

仏像の見分け方
* 宝剣、宝珠を持つ
* 三つ重なった宝珠の場合も多い
* 剣を持たない場合は与願印や施無畏印

毘沙門天
【梵名】
 ヴァイシュラヴァナ [Vaiśravaṇa वैश्रवण]
【三昧耶形】
 宝塔
【種字】
 「वै(vai)ベイ」梵名の最初の一字
【真言】
 おん べいしらまんだや そわか 

毘沙門天
-独尊の多聞天- 

仏教における天部の一神。四天王のうち、多聞天が単独で信仰される場合(独尊 どくそんという)、「毘沙門天」と呼ばれる。「毘沙門天」とは、サンスクリット名の「ヴァイシュラヴァナ」を音写したもので、「ヴァイシュラヴァスの息子」という意味を持つ。
三尊や曼荼羅などでは妻である吉祥天を左脇侍とし、息子である善膩師童子(ぜんにしどうじ)を右脇侍とする。また、五太子のほか、八大夜叉大将、二十八使者など多くの眷属を従える。さらには「槃闍那(はんじゃな)」という妃(中阿含經)や、総じて九十一子がいる(大方等大集経)とする経典もあり、その多彩な設定が広い信仰をうかがわせる。室町時代以降は七福神の一尊としても信仰され、「毘沙門さん」の呼称で信奉されている。功徳としては、多聞天のときと違いはなく、財宝福徳、戦勝勝運、発展繁栄などを主とする。
その身は、忿怒形に玄(くろ 緑で表されることが多い)の体身で革製の唐鎧の上に天衣(てんね)を身に着け、右手に宝棒もしくは三鈷戟(先端が三叉に分かれた矛)あるいは宝剣を持ち、左手には宝塔を掲げた姿が多いが、左手を拳にして左腰に当てる姿で表されることもある。八部鬼衆のうち「夜叉(ヤシャ)」と「羅刹(ラセツ)」を眷族としている。
 
 所依経典『金光明最勝王経』

《本像尊容》
本像には右のように勝林寺寺伝が残っている。東福寺仏殿(本堂)の天井裏には、東福寺以前、同場所に存在していた法性寺(平安時代に関白藤原忠平が創建)の塔頭より移されたとされる毘沙門天像が保管されていた。このことを知っていた東福寺の第205世住持(住職)高岳令松(こくがくれいしょう)禅師が、室町時代末の天文十九年(1550)に勝林庵を創建して移ったころ、「天井裏の毘沙門さんどないしよ」と周囲に話していたことが「仏殿の天井裏に毘沙門天像があるらしい」という噂となった。長らく毘沙門天像の存在を確認する者はいなかったのだが、江戸時代中期になり、海蔵院住持 独秀令岱(どくしゅうれいたい)禅師により像が発見され、勝林庵の本尊として祀られたのである。その発見は高岳令松和尚の霊告(夢によるお告げ)によるものとされている。勝林庵が海蔵院の鬼門(北東)にあることから当初は海蔵院の鎮守とされたが、やがては東福寺全山守護のためとされるようになり、その際に勝林庵の本尊が西の間に安置される聖観音から入れ替えられたのである。
本像の制作年代は平安時代半ば(十世紀後半頃)、平安期の藤原様式を伝える。像高約145cmの等身大に近い一木造であるが、火炎光背や台座の邪鬼は後補の作である。

毘沙門天

毘沙門天

仏像の見分け方
* 宝塔を持つ(持たない場合もある)
* 宝棒もしくは三鈷戟を持つ
* 鬼神(邪鬼)を踏む像が多い